天文3年5月12日(1534年6月23日) - 天正10年6月2日(1582年6月21日)。
戦国時代の武将。
信長は、尾張の戦国大名である織田信秀の嫡子として生まれました。
48歳の時に、本能寺の変で家臣の明智光秀に襲われ自害、その歴史に幕を閉じます。
その時に「あつもり」を舞ったというのはとても有名なエピソードです。
「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」の歌で有名な織田信長。
非常に短気で癇癪持ち、神のように振る舞い、部下に対して恐怖をもって接する、、、というようなあまり良い印象をお持ちでない方もいるかもしれません。
しかし、織田信長ほど、魅力的な人物は他にはいません!!
男から見て、どうしても惹きつけられてしまう男、それが織田信長です。
彼の人生は最初から順風満帆だったのでしょうか?
いいえ。これが違うのです。彼の人生の前半は、苦悩の連続、忍耐の連続でした。
信長は、先代の信秀が信長19歳の時に病気で死亡したため家督を継ぎましたが、周囲は敵だらけという大変不安定な状況であり、
決して楽な出だしではありませんでした。
父信秀の代には、最大で5,000人を動員した兵力も信頼できるのは2,000人余、その状態が桶狭間の合戦までの8年間続きました。信長は、苛烈な性格として一般的には知られていましたが、この間の信長は、後の苛烈な行状は一切無く、一に忍耐、二に忍耐、三四が無くて五に忍耐といった状況で、耐えに耐えて過ごします。
前半14年間の信長は、味方が次々と裏切るのを寛大な処置で乗り切ります。
また、敵を攻略した場合であっても出来る限り城兵の命は助けていきます。武田信玄が裏切った将兵を皆殺しにしたり金山へ労役に就かせたり、女は売り飛ばしたりしてしまったのとは大違いです。
結果、尾張一国を平定するのに15年の月日を費やしてしまいます(この後、本能寺で死ぬまでの14年では尾張一国の太守から、全国制覇の一歩手前にまで至ることを考えると、本当に長い長い15年でした)。
|